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長野県はなぜ、ガソリンが日本一高いのか?こう尋ねると、ガソリンスタンドの事業者団体・長野県石油商業組合(石商)はいつもこう答えてきました。「内陸県で輸送費が高いから」「過疎地域が多く販売量が少ないから」。でも、県境を越えると内陸の過疎地域でもガソリンは安い。これはどういうこと?
この疑問を出発点に取材を進め、石商の価格カルテルを突き止めて2025年度新聞協会賞を受賞した濱田朝子記者が、取材の舞台裏を語りました。聞き手はジャーナリストの元村有希子さんです。
▽濱田記者の受賞報道の概要はこちらから
長野県石油商業組合「ガソリン価格カルテル疑惑」を巡る一連のスクープ
価格調整を証言したガソリンスタンド関係者の思い
元村さん:ガソリン価格は本来、個々のガソリンスタンドが自由に決められます。しかし、長野県ではガソリンスタンドの事業者団体である石商が価格調整している実態がありました。このスクープのきっかけは何だったんでしょうか。
濱田記者:前提の部分からお話しすると、長野県は車移動が必須で、県民のガソリン価格への関心がとても高いんです。図の赤字の箇所が示すように、県内のガソリン価格は2024年、全国最高値の時期が長く続きました。県紙である信濃毎日新聞にとっても、「なぜ長野県はこんなにガソリンが高いのか」という謎はずっと追ってきた取材テーマでした。

信濃毎日新聞社提供
石商の幹部に正面から取材すると「小規模なスタンドが多いから」「海から遠いから」といった理由を毎回答えてきます。でも、そういう地域って全国各地にあるし、県境を越えた途端に値段が下がるのも違和感がありました。
前任の記者から「ガソリンスタンドの関係者が『石商から電話がかかってくる』と言っていた」との情報が引き継がれていました。もしかすると高値の原因はそこにあるのかもしれないと思い、その関係者に話を聞いたのが取材の始まりでした。
最初は、この人がなぜ取材に応じてくれたのか分かりませんでした。価格調整の実態を明かせば、自分のお店や業界の不利益になる可能性が高いからです。そのリスクを冒してまで、なぜ話してくれたのかと理由を聞くと、その関係者は「若手が『(お客さんのために)値下げなどの努力をしようとすると石商に怒られる。やってられない』と言うんだ」と打ち明けてくれました。当初は、ガソリンスタンド側が進んで価格調整しているのか、それとも石商に強制されているのか分からなかったのですが、この話を聞いて「強制されているのなら、そのために悩んでいる現場の実態も含めて報じたい」と思いました。
1人の証言だけでは報じない 現場で情報をつかむ裏づけ取材
元村さん:まず最初の1人が取材に協力し、価格調整の実態を明かしてくれたんですね。ただ、ニュースというのは1人の発言だけを切り取って記事にできるわけではなく、その証言が本当かどうか念入りに裏取りした上で発信されています。そこが実に途方もない作業になるわけですが、どのように進めたのでしょうか。
濱田記者:石商からガソリンスタンドにかかってくる電話連絡に着目し、関係者の協力のもと、音声データを入手しました。価格調整の証拠となる「1月17日から全油種プラス3円です」という連絡の音声データを押さえることができました。
ただ、音声データだけでは不十分で、実際にこの通りの値動きをしているかどうか確かめる必要があります。そこで1月16日と17日の2日間、長野市内のガソリンスタンド約40か所を回りました。その結果、9割近くのスタンドで実際に3円値上がりしていることを突き止めました。
念には念を入れ、その後2月3日に値下げの電話連絡があった際も音声データを入手し、再度ガソリンスタンドを確認して回りました。この際も電話連絡通りの値動きが確認できたため、2月5日付の新聞に記事を掲載しました。

信濃毎日新聞社提供
元村さん:広い長野市内のガソリンスタンドを40か所も回るのは、大変手間がかかりそうですね。具体的にどうやって調査されたのでしょうか。
濱田記者:アナログな手法で調査しています。記者2人で車に乗り込んで、助手席の記者がカメラで店頭の価格表示板を撮影して回りました。

大ピンチ!初報のあと関係者が口を閉ざし、情報が取れなくなる
元村さん:スムーズに取材が進んだように聞こえますが、実際の取材ではきっとさまざまなピンチに見舞われてますよね。一連の取材の中で、一番大変だったことを教えてください。
濱田記者:2月5日に最初の記事を出した後、長野市外でも価格調整があるのではないかと取材範囲を広げたのですが、報道が出た直後ということもあって関係者の口が一気に固くなってしまいました。他の地域での証言が思うように取れず、進展がない状況に陥った時期は本当につらかったです。
元村さん:記者をしていると、第2、第3の証言が取れないというのは「あるある」で、気持ちはよく分かります。1面トップで報じた後、続報を出せず静かになってしまう状況は確かにつらい。
濱田記者:続報が求められていたし、「他地域でもきっとある」と確信していたので、もどかしい思いでした。私の取材に進展がない中、先輩記者が新証言を積み重ねていたのも、焦りにつながっていました。
元村さん:どうやってその状況を乗り越えられたんですか。
濱田記者:何のひねりもないんですが、「いつか問題意識を持った関係者に出会えるはずだ」と信じて、取材に応じてくれる人が見つかるまでひたすらスタンドを回り続けました。自分に取材テクニックがないことは自覚していたので「足で稼ごう」と。話を聞けなかったガソリンスタンドにも名刺を置いて帰りました。その中には、後から電話をかけてきてくれた人もいたりして。
元村さん:言えないかもしれませんが、何軒目で話してくれる人に巡り合ったんですか。
濱田記者:30~40か所ほど回ったときだったと思います。
元村さん:よく「足で稼ぐ」と言いますけど、なかなかできることではありません。勇気も出ない。取材を断られ続けると心も折れます。そんな状況でも諦めず、地道に取材を積み重ねた「汗の結晶」がこの報道なのですね。

報道がもたらした変化と地元メディアとしての矜持
濱田記者:今回の報道では、オープンデータを使って長野県の状況が他の都道府県とどう違うのかも調べました。
資源エネルギー庁が毎月公表する47都道府県のガソリンの卸価格と、毎週発表の小売価格の差額を分析すると、長野県の差額が他の都道府県に比べて突出して大きいことが分かりました。
統計に詳しい同僚の助言を得て、都道府県別のデータを散布図にするなどして、記事に掲載しています。

信濃毎日新聞社提供
元村さん:一連の報道に対する反響はいかがでしたか。
濱田記者:読者からは「長年の疑問に答えてくれた」など多数の反響があり、背中を押されました。この報道を見たガソリンスタンド関係者から、追加の情報提供もありました。
報道を受け長野県は、疑惑について事実確認して報告するよう阿部守一知事名で石商に要請しました。初報から2週間近くたった2月18日には、公正取引委員会が長野市内の石商事務局を立ち入り検査する展開となりました。現在は、長野県のガソリン価格が日本一高いという状況は解消されています。

信濃毎日新聞社提供
濱田記者:ただ、カルテルが始まった時期など明らかになっていない点はまだ多いです。人口減少や燃油需要の低下などを背景に、事業者同士の「助け合い」がカルテルを強固にしたとの証言もあります。
地方の疲弊が進む中、中山間地の「生活インフラ」である零細ガソリンスタンドをどう支援するかは喫緊の課題です。地元メディアの記者として、また同時に長野県でガソリンを購入する生活者の一人として、変化を取材し続けたいと思います。

(2025年10月15日、新聞大会でのトークセッションを基に構成)
◇プロフィール(肩書は当時)
濱田 朝子(信濃毎日新聞社編集局報道部記者)
元村 有希子(ジャーナリスト/毎日新聞社客員編集委員/同志社大学特別客員教授)
▽濱田記者はじめ取材班が追及した長野県のガソリン価格カルテル問題は、こちらでまとめ読みできます。
信濃毎日新聞デジタル「ガソリン価格カルテル」特集
▽この記事は3回シリーズです。ほかの2本はこちらから
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