【是枝裕和さんに聞く】多様な「小さな物語」が文化を豊かにする

是枝裕和(これえだ・ひろかず)さん

1962年東京都生まれ。早大卒業後、テレビ制作会社を経て95年に「幻の光」で映画監督デビュー。カンヌ国際映画祭では2013年に「そして父になる」が審査員賞、18年に「万引き家族」が最高賞のパルム・ドールを受賞した。


気に入った記事をスクラップしていた少年時代

 

 新聞を手に取るようになったのは小学4年生の頃。少年野球を始めてスポーツ面を開くようになり、気に入った記事をスクラップしていた。テレビ欄も欠かさず見ていた。ホームドラマが好きな、変な子だった。

 

映画「誰も知らない」のきっかけになった新聞記事

 

大学を出てテレビの制作会社にいた1988年の夏、東京・西巣鴨で4人の兄妹が置き去りにされた事件が発覚した。母親が失踪し、子どもだけで暮らしていた。批判の矛先は逮捕された母親や長男、彼らに気づかなかった近所の人に向かった。行政を批判する時代ではなかった。悪者を探して片付けようとする風潮に強い違和感を覚えた。

 そんな中、一つの新聞記事が目に留まった。生き残った妹が「お兄ちゃんは優しかった」と話しているという。書いた記者にも会った。世論が子どもを断罪するのを「食い止めたい」という思いを持っていた。この子たちの時間を掘り下げてみようと考え、映画「誰も知らない」の脚本を書きあげた。

 

「万引き家族」の着想も新聞記事|釣り竿のエピソード


 昨年公開された「万引き家族」を着想したのも新聞の記事だった。万引きで生活する親子が釣りざおだけは売らず家に残していたから足がついて逮捕されたという。それを読んで「きっと親子で釣りをしたかったんだろうな」と思った。盗んだ釣りざおで糸を垂れる、そのシーンに向かって映画を作った。

 

映画監督ができること

 

 人々が国家とか国益という「大きな物語」に回収されていく中、映画監督ができるのは多様な「小さな物語」を発信し続けることで、それが文化を豊かにすると考えている。新聞にも同じことができるはずだ。読みたいのは署名記事。多様な価値観を示してほしい。

2019年5月29日公開